ストーリー

「世界につながる新しい森づくり」へ。輪島市・能登森林組合と「能登・ふるさと共創の森づくり」協定を締結しました

2026年6月3日、more treesは輪島市・能登森林組合と「能登・ふるさと共創の森づくり」協定を締結しました。能登・ふるさと共創の森づくりは、能登森林組合と石川県木材産業振興協会によるアテ林業・能登ヒバを活かした能登の創造的復興プラットフォームATE-NET」との連携のなかで生まれた枠組みです。締結式に先立ち、代表理事の隈研吾とスタッフは輪島市内を視察。震災と豪雨に見舞われた能登の森と暮らし、そしてそこに生きる人々に出会った一日の様子をお届けします。

450年、この地に根を張り続ける「元祖アテ」

最初に訪れたのは、輪島市門前町浦上。浦上公民館の館長・喜田充さんにご案内いただき、「元祖アテ」と伝わる2本の大木に対面しました。

アテ(能登ヒバ)のはじまりには諸説あります。文治5年(1189)、奥州藤原秀衡の三男・泉三郎忠衡が奥州平泉からヒバの苗木を携えてこの地に移り住んだという説。あるいは天正年間(1573〜1592)、泉家19代の兵右衛門が東北地方から苗木を持ち帰ったという説。いずれにしても泉家の庭に育つこの2本が「アテの元祖」とされ、幹周は太いもので約4メートル、樹齢は450年以上と推定される県内最古級のアテです。石川県の天然記念物に指定され、昭和58年の全国植樹祭では、県木として天皇陛下お手植えの光栄にも浴しました。

当主は亡くなり、すでに屋敷もありません。それでも土地の記憶をすべて抱えるように静寂のなかで根を張り続けているアテ。その幽玄な佇まいに、思わず息をのみました。

 

土に触れることが、生きる縁(よすが)に

続いて喜田さんのご案内で向かったのは、公民館から歩いて数分の場所にある苗畑です。ここで苗木を育てているのは、公民館のそばの仮設住宅団地で暮らす住民のみなさん。2024年元日の能登半島地震後ようやく落ち着いたはずの仮の住まいを、同じ年の9月、今度は奥能登豪雨が襲いました。山崩れが起こり、倒木が近くを流れる浦上川を塞ぎ、あふれた水は仮設住宅の床上まで押し寄せたといいます。

二度の災害で集落を離れる人もいるなか、住み慣れた土地にとどまることを選んだ方々にとって、仮設住宅は暮らしを立て直すための大切な拠りどころです。ただし外に出るきっかけや住民同士の交流はどうしても生まれにくい。苗木づくりはそんな住民たちが顔を合わせて言葉を交わす、集いの場にもなっているそうです。

苗畑には、たくさんのアテの苗木が青々と葉をつけていました。

苗畑の周囲を歩いているあいだ、視察に同行していた能登森林組合の職員さんが、仮設住宅で暮らすご友人のことを話してくれました。災害の難を逃れたその職員の方のご自宅に、ご友人が訪ねてくるのだそうです。「田舎の人間はね、庭や畑で土をいじって、猫一匹でもいたらそれだけで幸せなんだけど、小さな仮設だとやることがなくてね。毎日うちに遊びに来て、夕方帰っていくんだよ」

このお話にはっとさせられました。ずっとそばにあった庭も畑も失った仮設の暮らしは、もしかしたら都会での暮らし以上に、自然との距離が生まれてしまっているのかもしれません。土に触れ、緑を育てることは、暮らしの彩りになり、人との交流を生み、生きるための縁(よすが)にも希望にもなる。この苗畑で育っているのは、苗木だけではないのだと思いました。

苗畑の奥へ歩いていくと、「アテ復興の森づくり」と記された標柱が立っている場所がありました。植樹祭を開き、育った苗木を植えたとのこと。復興への願いが込められたアテが、小さいながらもすくっと立っていました。

 

アテのモデル林と香る「ハウスあすなろ」

続いて向かったのは、林業遺産「能登のアテ林業」のモデル林です。ここからは隈も合流しました。こちらのモデル林では、能登森林組合による「県木アテ百年の森づくり」のモデル事業が進められています。ドローンや地上レーザ計測で森の構造を細かく調べ、木々の生育に応じた択伐と植栽を重ねながら、災害や病虫害に強い森を育てていく。江戸時代から続く伝統のアテ林業に最新の技術を重ねて、百年先へ森をつなぐ挑戦の物語に隈も聞き入り、森の姿を写真に収めていました。

モデル林のお隣の「ハウスあすなろ」も訪問。1994年に能登和紙の体験館としてオープンした施設で、書画に使われる画仙紙のほか、杉の皮を使った杉皮紙、草花を漉き込んだ野集紙といった民芸紙がつくられていました。

いまは使われていないこの建物に足を踏み入れた瞬間、隈が思わず声をあげました。

「わあ、いい香り」

オープンから30年経ったいまでも館内にはアテの香りが満ちていたのです。アテでつくられた浴室が美しい状態を保っていることにも感心しきり。香りがよく、耐久性にも優れるアテのすばらしさを体感できる場所だけに、使われていないのはもったいないね、とも話していました。

 

「世界につながる新しい森づくりがはじまる」

午後、協定締結式の会場となる輪島市役所へ。エントランスではいまだに地面が崩れたままの箇所が目に入ります。市政の中枢でさえこの状況にあることが、能登がなお被災のただなかにあるという現実を物語っていました。

そんななか心温まる出来事がありました。昼食の時間に役場の一室に届けられたのは、地元の「お食事処 やぶ新橋店」さんのお弁当です。震災からずっと営業ができず、この日が震災後はじめてのお弁当づくりだったと聞きました。ふたを開けると、彩りよく詰められたおかずがぎっしり。どれもほんとうにおいしく、大変な日々を乗り越えお弁当を仕上げてくださったのだと思うと胸がいっぱいになりました。忘れられない、再出発の味です。

14:30、いよいよ「能登・ふるさと共創の森づくり」協定締結式がはじまりました。輪島市の坂口茂市長、能登森林組合の亀井順一郎代表理事組合長、そしてmore trees代表理事の隈研吾が、それぞれ能登への想いを語り、協定書に署名。アテ林業の持続化と多様性のある森づくり、能登ヒバをはじめとする地域材の高付加価値化と活用促進、関係人口の創出、人材の確保・育成、災害時の復旧・復興支援という5つの柱を、三者が協働しながら進めていきます。

式のなかで亀井組合長が語った現状は、あらためて厳しいものでした。山腹崩壊や土砂流出は100箇所以上、林道等の被害は2,000箇所以上、木材加工流通施設の被害は30箇所以上。災害や生活インフラの回復の遅れ等による働き手の離職もありました。ところが山奥で崩れた林道の様子が報道されることはほとんどなく、被害の実感が伝わりにくいのだといいます。だからこそ、能登の森のいまを伝えていくことが私たちの役割だと感じます。

隈は挨拶で力強くこう語りました。

「この場所から、世界につながる新しい森づくりがはじまる。それが復興にもつながる。そんな特別な日にしていきたい」。

この日、現地を案内してくださった方々がアテへの誇りと復興への希いを言葉にし、林業遺産モデル林やハウスあすなろがアテの底力を見せてくれました。能登の人々の想いとアテが秘めた可能性を体感したからこそ、隈の言葉はいっそう力を帯びたのだと思います。

 

能登ヒバに、はじまりの一輪を刻んで

締結式のあとは、能登森林組合の事務所へ場所を移し、職員のみなさんとの懇談の時間を持ちました。最初は緊張した面持ちだったみなさんの表情も、言葉を交わすうちに少しずつほぐれていきました。

懇談のひととき、思い出していた話があります。仮設住宅から毎日自宅へ通ってくるご友人の話をしてくれた森林組合の職員さんが、視察の道すがら聞かせてくれた、2kmのパイプのこと。その職員さんのご自宅は、地震と豪雨に耐えましたが、別の闘いがあったといいます。集落の十数軒で分け合っていた山からの水が止まってしまったのです。行政も手が回らず、意を決した集落の男手がパイプを担いで山に入り、斜面あり、川あり、橋あり、道路ありの難路を少しずつつなぎ替えること、数か月。蛇口をひねれば水が出るあたりまえを取り戻すのに、全長2kmを引き直したそうです。統計や報道には決して表れない2kmのパイプの水源をたどれば、行き着くのは山であり、森です。木を育て、水を蓄え、命を支える森を再生させることの意味の大きさを、あらためて思いました。

懇談の最後に、隈が能登ヒバの板にサインを書き入れました。板に浮かぶ幾重もの年輪は、この木が重ねてきた歳月の記録です。能登の森の再生も、この一輪一輪のように、一歩ずつ積み重ねていくしかありません。この日刻まれたのは最初の一輪。この続きを、more treesは能登のみなさんとともに刻んでいきたいと思います。

 

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